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藤川和尚と総合セラピーについて

今回は、藤川和尚と総合セラピーの関係について、

書いてみたいと思います。

和尚との出会いは、もう10年以上も前の事です。

和尚の「地上げ屋~仏教徒」という人生の振り幅に魅かれました。

お会いして、仏陀と言う男に惚れて、憧れて、

「実践仏教哲学」を標榜して生きる姿に感銘を受け、

私が和尚に惚れました。

和尚の何が凄いか?

仏教徒でありながら、宗教として崇めず、

仏陀の教えを生きるための哲学と捉え、

約5千年前の仏陀のように、誰にでもわかる言葉で伝えていた事です。

仏陀は仏典に書かれた難しい事を、

そのまま説いていたわけではありません。

文字が書けない、庶民たちに分かりやすく、

「楽になる生き方」を説いていたのです。

その代表的な思想が「諸行無常」です。

「世の何一つ変わらぬものはなく、自分さえも常に変わって行くものだ」

という悟りです。

例えば、「過去」や「まだ来てもいない未来」に執着し、

世界や自分は一瞬ごとに変化しているのに、

変わらない事を良しとするとどうなるでしょう。

人の心は、揺れているのが当たり前なのですが、

何かに対してトライすること、変化を止めると、

喜びも、悲しみも感じなくなり心も止まってしまいます。

心が止まってしまっている状態を、

ここではシンプルに「鬱」と言います。

ですから、誰でも体調によって、

心が鬱状態になったり、陽気な状態へと揺れています。

これが「健全な状態」です。

陽気な状態に戻れなくなり、心が「鬱」の位置で止まると、

「鬱症状」が続く事になります。


総合セラピーと、和尚が伝えたかった「諸行無常」とどうつながるのか?

総合セラピーでは、カウンセリングと催眠療法、そして各種瞑想と、

ヒーリングを症状に合わせて併用します。

鬱、各種依存、トラウマなどに共通するのは、

幼年期の心の傷が癒えていなかったり、

青年期や社会人になった時に深い心の傷を負い、

心が恐怖を感じた時点で「止まっている」という状態です。

総合セラピーの各種療法をもちいて心の傷を癒す事で、心が揺れ始め、

喜びを取戻し、悲しみを感じても、また喜びを求めて、

行動できるようになります。


心が揺れる=変化を受け入れる(諸行無常)という事は、

トラウマ解消を例にすると一番分かりやすいと思います。

トラウマとなった深い心の傷は、催眠療法で潜在意識(無意識)に、

アプローチしなければ癒す事は出来ません。

幼少期~青年期に負った深い傷を、大人になった自分が発見し癒す事で、

深い傷を負った時に「止まって」しまった「心」が再び動き、

「今の自分は大丈夫なんだ」という「変化」が心に起こり、

変化を受け入れる事で、心は癒され、

「万物は変わって行くものだ(諸行無常)」という事が「認識」されることで、

トラウマに縛られてできなかったことができるようになります。


誰でも大なり小なり心に傷を抱えています。

総合セラピーは、深刻な症状から「なんか最近、元気がないな?」と思われた時に、

気軽に受けて頂く物です。

http://healing-sweet.net/ryou/index.html">埼玉県 カウンセリング
対面や電話・スカイプ・LINEで各種悩み事、トラウマ改善
カウンセリング&ヒーリングと催眠療法。
総合セラピー・ルーム「 ヒーリング・スウィート」
厚生労働省認定相談機関認定心理カウンセラー
総合セラピスト 栗原 涼
http://healing-sweet.net/ryou/index.html
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テーマ : 癒し・ヒーリング
ジャンル : 心と身体

仏陀とは 仏跡 オモロイ坊主、最後のインドの旅「ラスト・インド vol.1」  感想が届きました!

仏陀とは 仏跡 オモロイ坊主、最後のインドの旅「ラスト・インド vol.1」  感想が届きました!



女性40代
Y・Hさん

「ラストインド」見せていただきました。

全編を通して、仏陀が見守っているような温かさが漂っているように感じました。

仏陀の時代からすでに存在していたであろう音楽、自然、人々の素朴さ・・・
藤川和尚が仰ったように、仏陀がここで何を思ったのだろう?ということに思いを馳せながら
見ていました。

こうした映像を作って頂いたことで、藤川和尚と共に旅をさせて頂いたような感覚になれたことに感謝しています。

祇園精舎で和尚が泣かれた後、「仏陀も私たちと同じひとりの人間です」と語られた時には、涙が溢れました。
和尚の涙には、「仏陀と同じひとりの人間として、どれだけ師の魂を受け継ぎ、己の人生の中にその魂を顕わせているだろうか・・・」そんな思いが込められているように思いました。

聖人君子に伝説は付き物ですが、彼らもまたひとりの人間。後世に残していくべきは、後付けされた伝説ではなく、彼らの真剣に生きた生々しい人生の真実なのでしょう。
だからこそ、こうした映像を通して「人生の真実」をひとりでも多くの方に感じてもらうのは貴重なことだと思います。

制作も大変だったと思います。お疲れさまでした。
貴重な映像を作って頂いたことに感謝しています。
有難うございました。

HD mp.4 ダウンロード・ヴァージョンはこちらからどうぞ

DVD版はこちらからどうぞ

テーマ : 癒し・ヒーリング
ジャンル : 心と身体

仏陀の足跡 仏跡 旅 ラスト・インド vol.1 オモロイ坊主、最後のインドの旅

仏陀の足跡 仏跡 旅 ラスト・インド vol.1 オモロイ坊主、最後のインドの旅


オモロイ坊主、最後のインドの旅
「ラスト・インド vol.1」DVD

約2500年前に仏陀が実際に歩んだ道を歩く、
藤川和尚と共に仏陀を体感する旅の始まりです。

仏陀が民衆に説いた智慧は、「苦しい人生をいかに楽しんで生きるか」という人生哲学であると説く、
和尚の最後の映像作品シリーズ第1弾になります。

「出発~菩提樹・祇園精舎・マヘート」

110分収録

◎DVD版はこちらからどうぞ。

◎HD:mp.4ダウンロード版はこちらからどうぞ。

◎心理カウンセリング&ヒーリング、癒しの動画と音楽 ヒーリング・スウィート

釈迦が悟りを開いた日

2日遅れとなってしまいましたが。

12月8日
釈迦が悟りを開いた日。多くの国の仏教寺院で「成道会」法要が開かれる。

成道会(じょうどうえ)とは、釈迦の成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことである。

日本では、釈迦は臘月(旧暦12月)の8日に成道したと伝承されているので、成道会を臘八会(ろうはちえ)とも称し、この日に法要が行われる。

南伝仏教では、ウェーサク祭として、5月の満月の日に仏誕会、涅槃会と共に行われている。

以上Wikiより

釈迦=仏陀の悟りとは?

仏教の悟り (さとり、覚り)は、原語のサンスクリットでは、bodhiボーディ、बोधि である。日本語・漢語では「菩提(ぼだい)」「覚悟」「証(しょう)」「修証(しゅしょう)」「証得(しょうとく)」「証悟(しょうご)」「道(どう)」などの別称もある。

真理(法)に目覚めること。迷いの反対。さとりは初期仏教から部派仏教あたりまでは究極目的であり、悟るためにさまざまな修行が説かれ実践される。仏教の悟りは智慧を体としており、凡夫(ぼんぶ)が煩悩(ぼんのう)に左右されて迷いの生存を繰り返し、輪廻(りんね)を続けているのは、それは何事にも分別(ふんべつ)の心をもってし、分析的に納得しようとする結果であるとし、輪廻の迷いから智慧の力によって解脱(げだつ)しなければならない、その方法は事物を如実(にょじつ)に観察(かんざつ)することで実現する。これが真理を悟ることであり、そこには思考がなく、言葉もない。

釈迦(しゃか)は多くの哲学者や宗教家の教えを受け、苦行にも専念したが悟りを得られなかった。そこで今までの修行法をすてて、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し身を清め、村娘スジャータから乳粥(ちちがゆ)の供養(くよう)を受けて河を渡り、対岸のピッパラ樹の下で坐禅をして禅定に入った。その禅定がしだいに深化し、三昧の中で「三明」が顕れ、真理を悟ることができた。これによって釈迦は悟った者(覚者)、すなわち「ブッダ(仏陀)」になったのである。

この悟りの境地を「涅槃(ねはん)」といい、それは「寂静(じゃくじょう)」であるとされる。煩悩が制御されているので、とらわれのない心の静けさがあるということである。

以上Wikiより

 オモロイ坊主こと藤川和尚が「生活の中に小さな悟りがある」と仰ったことがあります。

 「例えば、大根を集中して切る。もっと早く切れたり、より食べやすい形に切ることが発見できたら、それは悟りだよ」

 「掃除をしていたとして、もっと綺麗に素早くでき方法を発見できたら、それは悟りだよ」

 というようなことをおっしゃっていたのを覚えています。

 ここで語られている智慧は、体や意識を物事に対して集中し、新たな方法を自ら発見するということです。

 仏陀は多くの哲学者や宗教家の教えを受け、苦行にも専念したが悟りを得られなかった。とあります。

 自ら思考し体験し発見することで悟りの道を開いたのであれば、日常の小さな悟りもつみ重ねていけば大きな悟りとなるはずです。

 悟りに定義はありません。

 額におできができたとか、いきなりパンチパーマになったとか、耳が伸びたとか、舌が長くなったとかはしないと思います。

 周囲の人が、「あの人は凄い知恵を持っている人だ」と評価したことで「悟った」とされます。

 自己申告している人は論外です。

 煩悩を滅し、「ガンジスの砂粒ほどの回数の輪廻から解脱したい」と願った仏陀が再誕することはありません。

 仏陀は出家から一生涯を通じて、比丘でした。

 比丘とは物を乞うもの、つまり乞食です。

 糞尿依とよばれる、薄汚れた黄色いつぎはぎだらけの布切れ一枚しか所有しませんでした。

 それでも、その偉大で生きる智慧にあふれた教えは没後約2500年経った今でも忘れられるどころか、憧れる人が世界中に沢山います。

 僕はそんな仏陀が好きです。

 仏陀に惚れ込んで出家までしてしまったオモロイ坊主こと藤川和尚は亡くなりましたが、その教えや精神は今でも健在です。

ヴィパッサナー瞑想&歩く瞑想。オモロイ坊主の「楽になる生き方4」






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